RBシリーズのDOHCエンジンは

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もちろん歴代のスカイラインは、それぞれにばね、ダンパー、ブッシュ、スタビライザーなどのチ
ューニングは実施しているものの、基禾窯許はGCm型からそのまま引き継いだものであ
る。ただしこのR弧型からは、DOHCエンジン犠諦垂早には、4輪操舵システム(HlCAS)が起烈注用されている。HICASは、パワーステアの油圧を利用し、車速と操舵反力に感応してリヤ・アクスルをマウントしているサブ・フレーム券油圧シリンダーで動か
し、祷錘密笈採舵輪と同位相に操舵するシステムである。この結果薗起コーナリングやレ
ーンチエンジでの{茎褥唯を高めることを目指したシステムである。

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R訓型の犠識エンジンは新閣発の具忍同/RBシリーズが径用されることになった。RBシリーズはRB釦E型(SOHC)、RB別DE型(DOHC/餌バルブ)、RB釦DET型(DOHC/別バルブ+ターボ)の3種類がラインナップされた。SOHC/吃バ
ルブのRB加E型がくlスエンジンで、宣屏歴熊取がDOHC/型バルブのRB釦DE型、
より強力な仕様がターボを装備したRB釦DET型である。なお、RBシリーズ以外に蛆
2ディーゼルのRD調型4気筒のCA咽S型エンジンも残された。

RBシリーズのDOHCエンジンは、ベルトによるカムシャフト露謹到バケット内》疎式
油圧ラッシュアジャスター塗抹用した直謡認式バルブ駆動ビーム式ベアリングキャップ、
デイスビレス配電システムなどの新しい機鐸醇窓採用した、高出力かつ撮勤・騒吾の少ない
卜羅小型クラスのクルマにふさわしいエンジンとして開発されており、モータースポーツ
券ユ則提とした高同露荊圭ンジンではなかった。

スカイラインの走りのイメージを新たに

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このようにFJ加系エンジンは、新しい技術が橿律的に採用され、モータースポーツで
の使用も考慮して高閑刀化のため象野可撞迷用されていたが、エンジン本佐誇許そのもの
はオーソドックスであり、平凡であった。

R犯型のシャシー系には大きな蛮吏はない。ただ2000GTlESとRSにはコンソ
ール部のスイッチで制御できるアジャスタブル・ダンパーを装備していた。
RSモデルは、KPGC110型GTlRいらいの、走りを全身でアピールするスポー
ッモデルの復活であり、霊溥になりつつあったスカイラインの走りのイメージを新たに構
築するためのマイルストーンであった。

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八注胴vR瓢型スカイラインは弱年8月に雲是顎した。このR別型シリーズは、過不足のな
い上級小型クラスのセダン、ハードトップであることを求められた、その意味では悲劇的
なモデルである。スタイリングは、ロングノーズ/ロングテールで前後のオーバーハング
が長く、サイドビューはシャープなラインを強調したウェッジ・フォルムである。多くの

ユーザーにとって抵抗感の少ない水平な直線を基調にし、しかも安定感の強いボクシーな
4ドア・セダン/2ドア・ハードトップを狙っていたが、けつきよくは作り手のメッセー
ジ、デザインテーマの喪失であり、狙いとは逆にそこはかとなく不安定感を漂わせていた
のである。

R訓型では、ボディは4ドア・セダン、4ドア・ハードトップ、2ドア・ハードトップ
(クーペ)、エステート・バンが設定されている。そしてシャシーは、実にGCm型いらい
のフロント》ストラット、リヤ咽セミトレーリング・アームが継承されている。

インナー・シムで行なうタイプ

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FJ加系のエンジン券恐銅諏したスカイラインは、かつてのGTlRと同様にモータース
ポーツへの本格的な進出と、ロードカーとしての走りの復活をメイン・テーマとしていた
が、4』尋同エンジンであるがゆえにGTlRの多祢は径用されずへRSといゑ執たな名称
がつけられた。FJ加型エンジンは耐久・信畢癖涯の高いチェーン駆動のDOHC/略バル
ブ穐橋を採用し、ビッグ・ボア/ショート・ストローク、高顛刀を重視した広いバルブ挟
み角ビッグ・バルブのシリンダーヘッドとしていた。バルブ・クリアランスの調整は(
ケット内部のインナー・シムで行なうタイプである。エンジン制御はECCS、つまり電
子制御によるエンジン雄壁画制御を採用・燃料鱈爵認陰尋園別縮鶚詮湿烈そしてもちろん泊壁口
比占齢会謡瑚はエンジンの運転状態に合わせて最適制御されるようになっていた。

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*スカイライン20釦ターボ・インタークーラーRS-X主要館元型式:KDR30XFS(2
ドア・ハードトップ)型全長:4620mm全幅:1675mm全高:1360mmホイ
ールベース:2615mmトレッド:1420mm(F)/1410mm(R)車両皿量:1245kg
エンジン型式:F」20DET型/直列4気筒DOHC/16バルブ排気且:1990ccボア×ス
トローク:89.0mm×80.0mm圧總比:8.5:1ターボチャージヤー:xxxxxxxxキ
ヤブレーシヨン:ECCS最高出力:205PS/6400rpm最大トルク:25.Okgm/4400rpmトランスミッション:5速ステアリング:リサーキュレーティング・ポール式
(パワーステア:16.4:1)サスペンション:ストラット(F)/セミトレーリング・アー
ム(R)ブレーキ:ベンチレーテッド・ディスク(F)/ソリッド・ディスク(R)タイ
ヤ:205/60R-1589H

ドライバビリティがスポイルされていたのも事実

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しかし、この時点では排気ガス規制をとにかく突破することが最大のテーマとなってお
り、規制をパスしたとはいえエンジンの出力の向上は望め宙エンジン本体の細かな制御
もふじゅうぶんであったため、ドライバビリティがスポイルされていたのも事実である。

このようなジレンマをどのように解決するか、ということが排気ガス規制をクリアしたそ
の瞬間からの大きく重いテーマとしてのしかかっていた。

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そのひとつの鯉誉がターボチャージャーの採用である。帥年牽賛L釦E型エンジンにタ
ーボチャージャーを装備したL釦ET型エンジンを搭載したスカイライン200OGTタ
ーボが垂是電これによって量邑出力145PS/5600rpm、最大トルク21.0吃
、/3200rpmと、出力アップを実現したのである。

八注nV剛年8月に吾場したR釦型のボディバリエーションは4ドア・セダン、2ドア・
ハードトップ、エステート・バン、ハッチバックまであった。錯載されるエンジンは、L
釦E型、L釦ET型、湖2ディーゼル、LD釦ディーゼル、そして皇塾同はZ肥S、Z犯
E型(この4気筒シリーズは魂年加月にCA型エンジンに恋更される)が当痂農鑛閉され、
RSモデル用に追加されたのが20/4詞同のFJ加DE型であった。

この畠晉鬮頃力150PSのFJ釦DE型淳垂埋淑したRSは帥年皿月に晋喧認しかし鯛年
2月にターボ窓謹漉したFJ釦DET型(190PS)へ准花し、槻年2月にはさらにイ
ンタークーラーを採用して、暴変孵的に205PSまで出刀を向上させている。

シャープなライン形成のボクシーなフォルム

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タイヤは、175HRlMとラジアルタイヤが標準装備となっている。インテリアでは、
インスッルメントパネルがシルバーになり、スピードメーター、タコメーターをメインに
合計7個のメーターが横一列に並んだデザインとなっている。

なお、KPGC110型GTlRの姪嘩圭医口数は197一見デビューから4カ月で、生
産打ち切りが決定している。まさに幻のGTlRであった。

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八注拓V万年8月にデビューしたC210型は、副年斗錘訊ガス規制に対応したモデルとし
て雲是罰している。シャープなラインで形成されたボクシーなフォルムを持つ。ボディバリ
エーションは4ドア・セダンと2ドア・ハードトップである。權蹴するエンジンは、GT
系がL加型でキャブレター仕様と雷字蜘淵鰯鐵鯉甥郭は様の2種類があった。また、4尋同
シリーズは「TI」というネーミングがつけられ、L妬型、L岨型の2種類がラインアッ
プされた。L旧型はキャブレター仕様と電卓劉撫懸憾鷺噴射の2種類が設けられている。そ
して氾年8月には、Tlシリーズはツイン点火プラグ装備のZ型(L型のシリンダーヘッ
ド存勢罫器釜琴に変更して弱年斗埜訊ガス規制をいちはやくクリアしている。

この時期には、200OGTのL加型エンジンも雷字割繍鰯鋳鯉癖射や雷字剰御キャブレ
ターと3元師樫聯を組みあわせることで、最大の特縮閑な難関である弱迂恥狂気ガス規制をク
リアすることに成功している。

*スカイラインZOOOGT-ES主要酪元型式:HGC210JFE全長:4600mm全堀:
1625mm全高:1390mmホイールベース:2615mmトレッド:1370mm(F)/
1355mm(R)車両、量:1190kgエンジン型式:L20E型直列6気筒SOHC/12バル
ブ排気量:1998ccボア×ストローク:78.0mm×69.7mm圧鶴比:8.6キャブ
レーション:避子制御懲料噴射最高出力:130PS/6000rpm最大トルク:17.0Kgm/4400rpmトランスミッション:5速ステアリング:リサーキュレーティン
グ・ボール式サスペンション:ストラット(F)/セミトレーリング・アーム(R)ブレ
ーキ:ディスク(F)/ディスク(R)タイヤ:185/70HR-14

HCのG型エンジン系列

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66年8月にプリンスは日産自動車の傘下に入ったが、グロリアとスカイラインはそのまま販売された。
そしてこの年の10月にスカイラインはマイナーチェンジを受けている。
この時はフロントのラジエーター・グリルやヘッドランプまわりのデザイン、シート位置、インスッルメント・パネルのデザインの変更と、
ベンチレーターの追加などの小変更を受けたにとどまっている。
おもしろいことに、この年まではまだプリンス・スカイラインという車名で販売されている。
ちょうど1年後の67年の夏頃からはニッサン・プリンス・スカイラインと呼ばれ、
さらに翌年の68年7月のフルモデルチェンジ、つまりGC10型の登場からニッサン・スカイラインと呼ばれるようになっている。
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さて67年8月には、S57型スカイライン1500のエンジンは、従来のG1型(1484CCのOHVから新開発のOHCクロスフロー式のG15型(1483CC)に換装されている。
このエンジンはGR7C型と同様にロッカーアームを使用してV型バルブ配置を採用し、吸排気効率を高めて88PS/6000rpmと、従来より大幅なバワーアップを果たしている。
この高出力を誇示するために、グリルには「88」のバッジが取り付けられている。
なお、このHCのG型エンジン系列は1600CCのG16型、1800CCのG18型として76年、つまり50年排気ガス規制直前までその命脈を保っている。

スカイライン2000GT

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スカイライン2000GTは第2回日本グランプリを終えた後も、レースに参加し続けた。
プリンス自動車の社内では設計、実験部を中心メンバーにしたレース・プロジェクトが着々と進行していたのだ。
そして重要なことは、設計や実験の主要メンバーは量産モデルの担当をも兼任していたことである。もちろん技術スタッフが限られた人数であったこともひとつの理由であるが、
と同時に市販乗用車とレースモデルの開発を兼任することによって、技術陣の技術なポテンシャルや洞察力などがより高められ、技術的な経験を深めることになったのである。
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スカイライン200OGTのエンジンは、当初のG7型をレース用にチューニングしたものを社内ではGR7B型(市販のシングル・キャブレター仕様をGR7A型と呼んだ)
と称していたが、シリンダーヘッドを新設計したGR7C型を搭載した通祢CR型スカイラインGTは、65年の船橋CCCレースに出場。
GR7C型は、それまでのOHCターンフロー式の燃焼室からOHC+ロッカーアームによりV型バルブ・レイアウトとしてクロスフロー式に変更されたのである。
クロスフロー式にすることで燃焼室の形状が改善され、さらにポート面積の拡大、バルブ面積の拡大が可能になりトータルとして吸排気効率は飛躍的に高めることができたのである。
キャブレターはツインチョーク・ウェーバーを3連装し、最高出力は170~180PSを引き出していたといわれ、当時としては画期的な高出力を誇っていた。
このエンジンを搭載したスカイラインは特殊ツーリングカークラスとして第3回日本グランプリに出場し、優勝している。
また、このGR7C型で実現した技術は、その後に発売されるS57型スカイライン1500に搭載されるG15型エンジンに採用され、1500CCで88PSを達成している。

ポルシェ・カレラ904GTSが参戦

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スカイラインGTが出場したGT-Ⅱクラスレースには、日産フェアレディ、トライアンフTR4などに混じって
意外にもプロトタイプ・スポーツカーともいうべきポルシェ・カレラ904GTSが参戦してきた。
100台の生産台数でGTの公認が取得できたため、式場壮吉選手が輸入した新鋭のマシンである。
904GTSの車両重量は575kg、そして出力は180PSであったから性能的には904GTSは傑出した存在であったわけである。
プリンス側はポルシェの出現を夢想だにしなかったという。
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公式予選では、早い時期からトレーニングを積んでいたスカイラインGT勢が速く、生沢徹選手のスカイラインGTが2分娚秒3でポールポジションを猿得2番手もスカイライン、
そして3番手に2分50秒6をマークした式場選手のポルシェが入った。
決勝レースは、動力性能に勝るポルシェが先行し、生沢のスカイラインらが追撃する展開となったが、予想に反してスカイラインがポルシェを追い詰めるようにさえ見え、
ついには7周目のヘヤピンカーブで生沢のスカイラインがポルシェを抜いてトップに立ったほどであった。
この時プリンスのエンジニア達は「ストレートにスカイラインがトップで帰ってきた時は、本当に感激しました」(伊藤修令/現オーテック・ジャパン専務)と語っているように、
感動興奮に浸っていた。実際プリンス自動車の関係者だけではなく、17万人の観衆は驚き、興奮し、総立ちになったのである。
けっきょくポルシェは再度トップの座を奪い返し、そのままゴールラインを走り抜け、スカイラインGTは2~6位を占めた。
しかしスカイラインGTのデビューの舞台は、エキサイティングというにじゅうぶんだったのである。
なお、この日はツーリングカークラスでもスカイライン1500が1~8位を占め、グロリアは1,3位と好結果を記録している。
そしてこのレースが、これ以後のスカイラインのモータースポーツ・ストーリーのプロローグとなったのである。

100台が試作ラインで突貫生産

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第2回グランプリでは、ふたつのツーリングカークラスにスカイライン-500とグロリア2000の2車種を参戦させるほかに、GT力ーレースに参戦することを決定した。
そしてGT力ークラスにふさわしい車両として、スカイラインのボディにグロリア用として新開発されたG7型OHC直列6気筒/2000CCエンジンを搭載し
動力性能を大幅に向上させるという思い切った企画が採用され、スカイラインGTが急速開発されることになったのである。
1.5lのG1型エンジンより6気筒のG7型は180m長かったために、スカイライン・セダンのホイールベースを前方に200mm延長するという思い切ったデザインを採用した。
64年5月までにGTとしての公認を受けるためには最低100台の台数が必要で、車両公認申請書提出期限は3月15日であったために、約1カ月間で100台が試作ラインで突貫生産された。
グランプリ直前に発売された市販仕様(S54All型)は、G7型エンジンにシングル・キャブレターを装備し、105PS/5200rpmという出力であった。
トランスミッションはグロリア用を流用した3速+ODである。
そしてオプションで5速トランスミッション、ウェーバー・ツインチョーク40DCOE型キャブレター、リミテッドスリップ・デフなどが用意されていた。
レース仕様では約130PSに出力がアップされていたといわれる。
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グランプリが終わり、65年2月にレース仕様と同じトリプル・ウェーバー・キャブを標準装備した125PSのスカイライン2000GT(S54BlⅡ型)が季売された。
このモデルは、ウェーバー独特の扱い方が要求されるため、もう少し一般ユーザー向けのモデルとして2000GTIA(S54AlⅡ)が65年9月に搗布埋空元されている。
これにともなって、ウェーバー装備のモデルはGTーBと呼称されるようになっている。
S54型スカイラインGTの最終モデルは、日産とプリンスとの合併後の66年に登場したS54AーⅢ型である。

スカイライン開発の取締役技術部長

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プリンス自動車でスカイラインを開発した当時の取締役・技術部長を務めていたのが中川良一である。
36年に東京大学エ学部機械工学科を卒業し、その春に中島飛行機に入社。以後終戦まで航空機エンジン設計を担当した。
入社後1年で零銭、隼などに搭載されることになる日本陸海軍の主力エンジン、14気筒/1000PSの「栄20型」の設計の主任担当者となった。
続いてその後の主刀エンジンとなるべく、
世界にも類を見ない軽量・コンパクトで高出力の18気筒/2000PSの「誉20型」この企画・設計を担当した航空機エンジンの傑出したエンジニアである。
戦後は富士精密に所属し、FG4A型の開発をはじめ、スカイラインの企画、プリンス自動車のモータースポーツ活動、高出力エンジンの開発などの方向を決定づけた。
66年に日産との合併により、日産自動車の常務取締役に就任した。日産では排気ガス対策として三元触媒方式開発、エンジンの総合電子制御化の導入などに大きな功績を残している。
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初代スカイラインGTのべースモデルになったのは、63年に登場した2代目スカイラインのS50型である。
初代モデルの後期に登場した1.9lエンジンは、より上級モデルであるグロリアに移行させ、S50型は1.5lだけに絞った。
この1.5lエンジンは、初代モデルの後期から採用されているG1型OHVで70PSを発生していたが、
より改良され「封印エンジン」として他社に先駆け2年間4万km保証のメンテナンスフリーをアシビールした。
ボディは最新式のモノコック構造を採用し、サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン、リヤはリーフスプリングによるリジッド・アクスルとしている。
このスカイラインがレースに登場する経緯はつぎのようなものであった。プリンス自動車は63年の日本グランプリでの惨敗から「1年間の臥琴譽胆」を経て、
64年の第2回日本グランプリに向けて、田中次郎部長以下、全社的なプロジェクトを組んでいた。